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2015/08/31

熱い!韓国ビール競争





8月が終わりますが、まだまだ残暑のソウル。

冷えたビールが、欲しくなってしまいます。

韓国は、昨年からのビールブームが継続中。

その背景には、輸入ビールの波が

どっと押し寄せて来たからでしょう。

三年前ソウルに来た時は、

なんと日本の500缶ビールが500円!

日本や外国のビールには、

一種のステータス感がありました。

若者の焼酎離れ、国産ビールの不味さから

本物志向への意識変化が生まれてきたようです。

そして昨年から、大型マートやコンビニで

輸入ビールの猛烈な「割引攻勢」がはじまり、

高価だった輸入ビールが身近な存在になりました。

ドイツビールが気軽に飲めるようになったんです。

そして、一気にビールブームに火がつきます。

私が住んでいる上水(サンス)は流行に敏感な街で

生ビールや外国ビールを売りにした

居酒屋やBAR、レストランが続々と出現中です。

厳しい状況に立たされているのが国産ビール。

国内酒税の影響で割引攻勢の輸入ビールより

価格が高く、味も劣るため水をあけられています。

OBやHiteは、負けじと麦芽とホップの量を

増やした新たな本格派ビールで対抗。

大手のロッテもビール業界に参入し、

国産ビールの逆襲がはじまりました。

そんな中この所、新たなブームを呼んでいるのが

クラフトビール(手作り地ビール)です。

ビールのノウハウがある外国人が、

韓国で展開するまさに本場のビールです。

お洒落に楽しめるとあって、若者達を中心に

クラフトビール旋風が起きているようです。

この熱い韓国ビール競争。

動向を見守るのが、ビールと相性の良い

チキン、ピザ、洋食関係。

そして、ビールと一緒に需要が伸びている

ワインやウイスキーなどの洋酒類。

元気がないのは、韓国酒の代表「焼酎」。

柑橘系を使ったフルーツ焼酎という

新しい動きを見せているが、どこまで続くか。

競争が激しいことは、美味しいビールが飲める

機会が増えビール好きにはうれしい限りです。



まだまだ残暑が続くソウル。

今後も熱い韓国ビール競争から目が離せません。

2015/08/11

祖母が見た韓国の空







「本当に抜けるような大空だった」





祖母は日本統治時代に韓国で生まれ、

日本人のいわゆる特権階級の家庭で育ちました。

口を真一文字に結び、レンズを見るまなざしが印象的で

ちょっと生意気そうな幼少の祖母の写真。

当然ですが、私の母にもどこか似ています。



この一枚に出会ったのは、先日祖母が旅立った後。

母が、祖母がとても大切にしていたという

一冊のアルバムを見せてくれ、その中にあった一枚です。

もっと早く出会いたかった。



左下に「UDO STUDIO 釜山 宇土」と刻印があります。

釜山にある、宇土という写真館で撮影したのでしょうか。

現在、末裔でも釜山に宇土写真館はあるのか。。

私は、この一枚の写真に心を大きく動かされます。

祖母のルーツは、母そして私のルーツでもあるわけです。

母の話によると、カメラマンが祖母の事を大変気に入り、

モデルにと度々にお願いに来たようですが、

祖母は嫌で嫌でしょうがなかったそうです。

その思いが、写真の表情に出ているのかもしれません。

着物ではなく洋装なのは、当時の暮らしぶりも伺えます。

宇土氏が、日本人なのか韓国人なのかは分かりませんが

祖母のルーツは韓国で、釜山にいたまぎれもない事実です。

祖母の名前の「礼」は、

韓国の国宝第一号 南大門こと崇礼門の「礼」から名付けられたそうです。

写真には、その瞬間を写し残って行く力強さがあると

あらためて痛感した瞬間です。



祖母はこの後、戦争、敗戦と本当に厳しい時代を生きていきます。

夢もあった。好きな人もいた。辛い事がたくさんあったと思います。

韓国は「本当に抜けるような大空だった」と表現したのは、

この頃の思い出が鮮烈に美しく記憶していたからだと私は思います。



私は三人兄弟の長男で、母が忙しかったこともあり

兄弟全員がいわゆるおばあちゃん子です。

祖母は、キュリー夫人が夢でもあった才女で、芯の強い女性。

物事がはっきりしており、プライドは高く、

お洒落でケチケチした事を嫌う豪快な面がありました。

三人兄弟、それはそれは厳しくしつけられ

今日の私にも祖母の影響が強く生き続けています。



つまと結婚して10年、つまのおかげもあり

祖母と母と一緒に過ごす時間が多くありました。

つまが韓国人だったのも不思議な縁で、祖母とつまは意気投合。

一緒に韓国を訪れた事もあり、当時の思い出に触れる機会があったのに、

深く聞けなかった事が今となっては心残りです。

私は自分なりに歴史の検証をしていないので語る資格はありませんが、

侵略の歴史、世代を超え二人には不思議な絆があったように思えます。

「チェーさんを大切にしなさい」は祖母からよく言われていた言葉です。



三年前つまの国、韓国に渡り暮らしていると、私も感じました。

晴れ渡った日の韓国の空は本当に「抜けるような大空」です。

孫の私が、祖母がかつて見た韓国の空を見る事ができた。

つまには本当に感謝しています。



今年はじめ、祖母が私に「次に生まれたらドイツ人になる」と。

どうして?と聞くと 「ブレないから」。

祖母は、常に日本の政府に怒りをあらわにしていました。

日本にとって大変な局面を迎えている今、

日本とアジア諸国、そして韓国との関係を思うと響く言葉です。

私の孫の世代にも、そしてその後の世代にも

気持ちのよい「抜けるような大空」が見られる世界にしなくてはいけない。






おばあちゃま ありがとう。

次は、ドイツの空の下で会おう。


2015/05/30

済州オルレ完全制覇!また済州が好きなった日





二年かけて歩いてきた済州オルレ。

残すルート18-1の楸子島へ渡り、

二日間をかけ最後のスタンプを押した。

2015年5月8日、ついに完全制覇。

日本人では二人目だという噂も。。

個性的な全26コース、総延長約430キロ。

雨の日も風の日もあったり

道に迷ったり、出会いがあったり、

旨いものがあったり、発見があったり、


さまざまな記憶が思い出されます。

最後のスタンプを押した楸子島の

小さな食堂で、つまとささやかな

祝杯を上げ達成感に浸ります。

私の思い出深いのは、ルート9。

総距離が8.2キロと短いが、難易度が上。

モルジルと呼ばれる馬が通ったとされる

絶壁の道を越えたかと思いきや、

済州で最も美しいとされる「安徳渓谷」が

姿を現した時は、これも越えるのかと絶句。

後には、素晴らしい絶景が待っていました。

予想以上に下山に時間がかかってしまい、

すっかり日が暮れスタンプ台が見つからず、

後日再訪したルートでもあります。

つまのお気に入りは、ルート5。

総距離14.4キロ、難易度が中。

済州島の中でも、温暖な西帰浦エリアの

美しい海岸沿いを歩くことができます。

このルート上は、まだ済州の素朴さが

色濃く残るエリアでもあります。

ルート途中にある為美港の水産市場で、

鮮魚を選び刺身におろしてもらい、

堤防で食すのが特にお気に入りです。

ここから眺める夕日がまた美しい。

そして、二人が共通して感じたのが

ここ楸子島の魅力です。

本土にはない、汚されていない素朴さ、

美しい自然、自給自足の島。

済州には、まだこんな魅力があるのかと

再発見した夜でもありました。

これだから済州はたまりません。

また、明日の朝から新しい済州が始まる

と思うと楽しみで一杯です。

とにかく一区切り。今宵の島焼酎が旨い。

2015/04/29

弘大のシカゴピザに挑戦!中年おじさんは韓国チーズブームの波に乗れるのか?




私が住む街、ソウルの上水。

ソウルの若者文化が集結する

弘大エリアに属しているため、

韓国で近年ブームのカフェや

日本料理店などが多く集まる

流行に敏感な街です。

そんな上水はこのところ

韓国で以前ブームが続いている

チーズ」を扱うお店が急増中。

韓国料理にチーズ乗せが売りのお店や、

チーズスイーツ、コーヒーにチーズを

入れるお店まであります。

中でも、やはりチーズ料理の王様

ピザの専門店は圧倒的に多い。

当然こんな街に住んでいれば

中年の私も影響を受けます。

街で人気の「シカゴピザ」を試したい!

シカゴディープディッシュピザは

アメリカ発祥ですが、近年韓国では

オリジナルにアレンジするお店が急増。

つまと弘大にある人気店に向かいます。

韓国の人気番組で紹介され、

火がついたここ弘大の「シカゴピザ」。

高カロリー接収を覚悟し、

カロリー数が書かれた階段を上がります。

木彫のおしゃれな店内は、若者だけ。

サイズは2種類、味は3種類から選べ、

8インチのクラシックトマトを注文。

焼き上がりまで生ビールで潤します。

20分後、テーブルに置かれた丸太の上に

鉄板に乗った巨大なピザが置かれました。

直径は20センチ程ですが、高さがある。

ケーキのように6等分されており、

さっそく一切れをすくい上げた瞬間、

チーズが滝のように流れてきました

どこにこのチーズが入っていたんだ?

このチーズ量、尋常ではない。

トマトソースとチーズの相性は抜群、

生地もふっくらですが、

とにかくトロ〜リ、チーズチーズ

このボリューム大丈夫なのか。。

不安がよぎる中、手が止まったのが

2切れ目の途中でした。

つま「お持ち帰りにしようか」。

横のカップルは、ピザを早々に平らげ

パスタ、サラダを食べている。

まだまだ若い者には。。。

「大丈夫、食べられる」。

なんとか完食し、ブームを体感した

満足感にあふれお店を後にしました。


翌日、ひどい胃もたれに苦しむ

私がいました。

チーズブームには乗れなかった。。無念

2015/04/17

微笑みに微笑んで。新羅びとの贈りもの世界遺産「石窟庵」



ソウルからKTXで約2時間。

かつて新羅王国の都として栄えた

古都、慶州に到着します。

街全体が「屋根のない博物館

呼ばれているのも納得、

新羅びとの文化遺産で溢れています。

その中に、かねてから私が韓国で

最も目にしたかった仏像があります。

新羅仏教芸術の傑作「石窟庵」。

有名な仏国寺とともに、

慶州を代表する世界遺産です

仏国寺を観光し、そこから車で

トハム山の山道を登る事、約20分。

石窟庵の入口に到着します。

目指す石窟庵は、さらにここから

1キロ程歩いた所にありました。

階段の先に、山に溶け込むように

木造の小屋が見えてきます。

想像していたよりも簡素な雰囲気

小屋の中に入ると、ガラスで

覆われた石窟庵が姿を現しました。

石窟庵は3つの部屋で構成され

四角い「前室」があり「扉道」、

そして丸くドーム型の「主室」。

主室に鎮座する「本尊仏」を

守るように各部屋の壁面には、

守護神の像が彫られています。

残念ながらガラス越しの拝観の為、

前室以外の中の様子は見られません。

石材に、花崗岩が使われている為、

石窟庵は白く格調高い光景です。

扉道の奥に見える主役の本尊仏は、

想像以上に大きく高さ3.48メートル。

丸みのある柔らかい彫刻が際立ち、

やさしく気品に満ちた佇まいです。

新羅びとの技術の高さを感じる。

穏やかに微笑む表情は、まさに慈悲

向き合っていると心が洗われ、

自然と微笑んでしまいそうです。

しかし、このガラス張りが残念。

石窟庵には、悲しい歴史があります。

日本統治時代に偶然発見されますが、

崩壊寸前の状態だったようです。

そのため、日本により三度、その後

韓国により再三修復が行われますが、

復元は困難を極めたようです。

新羅びとの技術が高かったのか、

大きな問題は内部にこもる湿気。

石材の花崗岩は、湿気による劣化が

激しかったようで湿気との戦いに。

結果現在のガラスで覆い

人工換気システムを利用する方法に

なってしまったそうです。

完全ではないが、こうして時をこえ

新羅びとの贈り物と向き合える事、

この微笑みに感謝したい。

内部で撮影している観光客がいますが、

内部は撮影禁止です。ご注意ください。

2015/03/30

春の珍事。現代版モーゼの奇跡「珍島海割れ」




韓国の西南端に位置する珍島。

名曲「珍島物語」でお馴染みの、

神秘の海割れ」で有名な島です

そして毎年海割れが最も綺麗に見られる

「珍島霊登祭」が開催されています。

前日はソウルと珍島の中間、儒城に一泊し

祭りの会場になっている珍島の回洞村へ。

はるばるやって来たという思いです。

会場は、海割れを目にしようと多くの人で

賑わい様々な催し物も行われています。

この日の海割れが始まる予想は、18時頃。

干潮になるとここ回洞村から、海に浮かぶ島

茅島里(モドリ)を結ぶように約2.8km、

幅40m程の道が出現します。

時間まで、珍島物語を聞いてみます。


珍島物語 作詞作曲 中山大三郎
♪ 海が割れるのよ 道ができるのよ
島と島とが つながるの
こちら珍島から あちら茅島里まで
海の神様 カムサハムニダ
霊登(ヨンドン)サリの 願いはひとつ
散り散りになった 家族の出会い
ねえ わたしここで 祈っているの
あなたとの 愛よふたたびと


とても素敵な曲で、分かりやすい詞です。

数少ないハングルの歌詞に

霊登ヨンドンサリ」がありますが、

これはある伝説の事を指しています。

昔々、ここ回洞村は「虎洞」と呼ばれる程

虎が沢山現れる村でした。困った人々は、

向かいの茅島里へ逃げてしまいます。

ところが、たった一人「ポン婆さん」が

村に取り残されてしまったのです。

家族に会いたい一心のポン婆さんは、

海の龍王様にその思いを日々祈願します。

心を動かされた龍王は、

「明日虹を架けるから海を渡りなさい」

とポン婆さんにお告げを与えます。

見事に虹が架かると、茅島里の家族は

ポン婆さんを探しに虎洞村へ渡ります。

家族と再会できたポン婆さんは、

「私の祈りで再会でき思い残す事は無い」

と息を引き取ってしまいました。

この伝説からポン婆さんの思いを称え、

海割れが起こる時に霊登祭」が

行われるようになったそうです。

時刻は、18時。回洞村と茅島里を結び

大きく弧を描くように徐々に道が出現。

これは凄い。本当に海が割れているよう。

一時間ほどで再び潮が満ちてくるそうで、

茅島里まで渡りきろうとする人をはじめ

続々と海の道に入って行きます。

私とつまも長靴を履いて、後に続きます。

現れた道には、あさりなど貝類が豊富で

潮干狩りに精を出す人も多いです。

海の上を歩いているとは、なんとも

不思議な感覚で光景です。

しかし、2.8kmはなかなか。

中腹の手前で折り返す事にしました。

貴重な体験をした充実感で心も豊かです。

帰りのバスで、再び珍島物語に耳を傾ける。

やはり実際に体験した後で聞くと、

光景が目に浮かび、思いもひとしお。

ポン婆さん、今年も家族に会えましたね。

珍島物語 天童よしみ

2015/03/10

テボルム名人展 心にしみる人間国宝のパンソリ




旧暦1月15日にあたる3月5日は、

韓国の名節「テボルム」。

1月1日の旧正月から15日後、

一年で初めての満月の日に

今年の豊作や健康をお祈りする

伝統的な風習です。

この神聖な日を記念し、

韓国伝統音楽名人が集うのが

「テボルム名人展」です。

今回招待を受け、会場の

国立国楽院へ向かいました。

会場は多くの人達で賑わい、

韓服をまとった関係者や、

名人出迎えています。

座席はなんと最前列のVIP席。

本当に感謝です。

開演時間となり、幕が上がると

スクリーンに大きな満月が。

風情のある舞台で、次々に

名人の演奏が奏でられて行きます。

どの演奏も実に趣きがあり、

伝統音楽の奥ゆかしさを感じます。

そしてパンソリの演目となり

重要無形文化財に指定されている

チョンチャンスン氏が登場。

鮮やかなピンクのチマチョゴリ、

御歳80とは思えない貫禄のある姿。

コス(鼓手)の方も文化財と

豪華な二人が揃いました。

パンソリは、パン広場)とソリ

の造語で、歌い手と太鼓奏者の二人で

一つの物語を歌う韓国伝統芸能です。

今夜は現在残っている5つの物語から

最も高度な「沈清歌」が語られます。

チョン氏とコスの方の間に、

張りつめた緊張感があり、

シンプルで力強い太鼓のリズムと

力強い歌声が会場に響き渡ります。

人間国宝の表情や感情を表現する様は、

ぐっと胸に迫るものがあります。

親孝行の感動的な物語ですが、

言葉が分からなくても

情景が見えるようで心にしみる。

拍手喝采で幕が降りました。

時が経つのもあっという間の名人展。

今年は、名人のパンソリのように

力強く感情豊かに過ごして行きたい。

2015/02/15

済州オルレを歩いて2年。完歩まであと1ルート!




私が、済州島の虜になるきっかけと

なったのが「済州オルレ」です。

オルレとは済州島の方言で、

通りから家に通じる狭い小道の事。

済州島の美しい自然を、

ぐるっと1周歩きながら体感できる

全26のウォーキングコースです。

青い海と白い砂浜の道、菜の花の道、

石垣の道、みかん畑の道など、

各ルートには個性があり、四季により

また違った風景になるのも魅力的です。

そして、ルート中には食堂も点在し、

済州島ならではの島料理が味わえる

醍醐味もあります。

1ルート平均15キロ。4〜5時間。

難易度も設定されています。

歩き方は実にシンプルです。

始点または終点から、リボンと矢印、

子馬のシンボルを目印に歩きます。

こんな所に!木に結ばれたリボンや

矢印を探すのも探検気分で楽しい。

たまに迷子になる事もありました。。

さらに、オルレパスポートを購入し

各ルートの始点、中間点、終点にある

スタンプを集めて行くと、

充実した達成感を味わう事ができます。

歩き始めて2年。私のパスポートには、

25ルートのスタンプが集まりました。

残すは、済州島の隣島チュジャドルート。

ここまで来ると思いもひとしお。

噂では、日本人の完歩者はまだ一人。

二人目を目指して(笑)チュジャドへ

渡りたいと思います。


済州オルレ公式ホームページ